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なぜ瞑想するの?

瞑想とは?。。。

定義は色々ですし、自分自身も瞑想を始めてからもずっと

どういうことなのか?といつでも思っています。

 

 インターンとして瞑想を伝えることもしているので

今私がおもう瞑想を書いてみます。

 

 

たとえば

ゲームをするのが    おもしろい

ライブに行くと     わくわくする

ダンスをするのが    たのしい               

 

 

「何々をすると」    「こうだ」

 

 

「こうだ」のときの状態は感覚としては

心を奪われ夢中であること忘我です。

この場合ではわくわくとかたのしいとかです。

 

 

 「こうだ」は 悲しい恐ろしいむかっとする、などももちろんあります。

 

この場合わくわくにも恐ろしいにも区別はありません。

忘我を喚起させる性質のものとして同じものととらえます。

 

人は無意識ですが忘我になるために行動をおこす。行動として「何々」を求める。

忘我の状態がないことには生きている実感がないからだと思います。

これはある程度生きてきた大人なら感じていることだと思う。

 

 

瞑想をする、とは忘我に一気

に持っていくこと。

「何々」を飛ばします。

 

 

心を奪われ夢中になること、が生きる実感の必須条件だとしたら

一気にそこにいつでも自分をもっていけるような技術があるといい。

それには瞑想がよいのではないか、と思います。

 

 

瞑想の練習によって

即時に心を奪われ夢中になっている状態でいることができたら、

物事に対する余裕がうまれるのではないでしょうか。

そっち(忘我)から物事をみることができたら。

 

普通、→ から  のところを

瞑想では → から  → とアプローチする。

 

なにか大きな存在が天から人間を見るような状況を意識的におこなえることになるのではないか?

 

と思うのです。客観というか俯瞰。

 

 自我というフィルターをなるべく介さないで観る。

 

自我が優勢な状態での俯瞰は自分の思い込みの常識範囲内にとどまるので

それは進化にとってあまりにも遠回りなことだとおもう。

 

忘我の境地からの俯瞰をしたい。

 

それはいろんな可能性に気づく作業だとおもうのです。

 

そして気づくことで、「今」自分がするべきこと、

毎日をどう過ごしていくかを知ることができます。

 

瞑想をする理由はいろいろありますが

そのひとつがこのようなことです。