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アーサナで気がつく呪文

Yoga

今年から月に2日、OKI YOGAの朝ヨガに参加しています。 

OKI YOGA → http://okiyoga.com/studio/

準備として身体をほぐしていくところからヘッドスタンドまでのフルコースを先生のナビゲートで行うのはやはり楽しい。

ものすごーくだるくて、自分一人での練習だったら「もうや〜めた」となるところでも、「先生やってるし。。。がんばろ。。」と、ぼちぼちついていきます。

 

大石先生のクラスは、生徒との対面式ではなく、先生の斜め後ろあたりにマットを敷いてまねっこしていきます。

とはいえ、アーサナでのこうしてああして。。。との先生のガイドの声は休まりません。

 

柔軟性もあり、筋力もありの大石先生のアーサナは、途中ついていけないところがあるので、そこは見させていただく。へええ〜、ほう〜、はあ〜、と感心感心。

 

華麗なハンドスタンドのアーサナなんかを見るとなんかちょっと無理したくなるんですよね〜。やる気に火がつくわあ。

 

ヨガを始めたころの私だったら攻略心燃やして、身体の言う事無視して力任せにアーサナをクリアしていこうとしただろうな。1ゲームクリア!って。。。スーパーマリオ

 

甘やかさず、無理せず、出来ないときの(出来たときも)自分の心の動きを観ながら、最善をつくしていくことを知ってアーサナを行うことの醍醐味を知った。

 

イェス!か、ノー!かはっきりすることを良しとされた社会で育ってきた私たちは、無意識に2つに分別する癖がついていて、しかも、ノー!の方(出来ない)は捨てる。捨てたい。

 

その思考癖でいくと、成功とか勝利とかを得たとき、優越感とか達成感に酔い、そしてもっともっと、となる。

反対の場合は自己嫌悪におちいりやすい。目を背けその場を切り抜ける事はできても逃げているかぎり追いかけられる身。(わーゲド戦記みたい☆)安心感が得られない。

 

まるきり違うようだけれど、執着しているという点では同じだとおもう。

どっちもどっちよねえ。。。

 

本当に大事な個人の成長というものを育てなくなったのは古の統治社会から。皆がレールに乗ってくれたら社会が廻る、という、効率がいいとされてきた教育のツケが、大人たちの「思考フリーズ」という形で世にばらまかれている。

 

まあ、そのことはいまさらセンチメンタルになってもしょうがないとして、怖いのはそれに気づかないこと。お説教は脈々と続く呪文だなあとおもう。

 

大人から大人へのお説教(当人は教育と思っていたりする。。怖いわあ)も、聞いていると大抵呪文ですからね。説得力がないのはその人の本当の言葉ではないから。

「聞いてないんじゃないの〜。呪文にかからないように気をつけているんです 笑。」

 

朝ヨガに行ってます。。。から魔術にからめてしまいましたけれど。

 

せめて自分で自分に呪文をかけないようにしたい。「からだ固くてムリ」とか。「絶対できない」とか。

 

出来てもよし、出来なくてもよし。そもそも出来るってどういうこと??

アーサナで逆さまになると、どっちが上だか下だか分からなくなるのもいいところ。

けっこう賢いと思ってた自分が打ち砕かれる喜びがあります。

だって、「丹田(下腹)に力入れて」って言われても首と背中に力が入るのですもの。

身体がいうことをきかない。

 

淡々と行うことですねえ。そしてチャレンジしていく。攻略心なく。←自分が陥りやすいから釘打つ 笑。浮き立つ心も沈む心も受け入れながら。

 

いつかできるかな?大石先生にサポートしていただきながらドロップバック練習しています。

 

バックベンドからのナイスな映像がありました ↓

http://www.yoga-univa.jp/ashtangayoga/backbend/

 

怖いからつい上半身に力が入ってしまうのだけれど、力を抜かないと出来ない。難しい。私の身体にはどんな呪文が隠されているのだろう。。。

 

身体を意識的に動かすことで、まずは自分にかかってる呪文を除去していきます。

 

 

 追伸。ドロップバックのことバックドロップと覚えてた。バックドロップってこれかあ 笑  ↓ 

http://www.youtube.com/watch?v=g0je1-qHMCg