「やわらか脳」 茂木健一郎著
この本は著者がインターネット上で公開している「茂木健一郎 クオリア日記」の2004年から2005年の二年間分を編集、加筆してまとめたものだそうです。
短い文章ごとにテーマがあって、茂木さんのその時々での「心の写真」(すごい表現☆)が文章化され、書かれています。どこを切り取って読んでも悟りの扉。
脳を専門とする科学者で、リラックスしてていい感じの方だなあ。というくらいにしか認識していなかったのですが、この本を読んで大ファンになってしまいました。
それではこの部分を。。
103ページ 子供の領分 より
新しいものを創造する、という時には、たとえて言えば、百メートル走のアスリートがトレーニングする、そのくらいの集中と強度が必要だ、と実感する。
もちろん集中と強度だけではダメで、弛緩がなければならない。アハ!体験は、弛緩の時に訪れることが多い。しかしそれも集中と強度があってこそである。
ここで著者の子供の頃の遊びでのルールを決めるプロセスについてのことになります。弱い子がいたら、ハンディキャップを与えて少し有利なルールにしたり。そのことによって結果が見えなくなってより面白くなると。。。
105ページより。。
「宝探し」という遊びがある。目を閉じてる間に、鬼が「宝物」を隠して、「もういいよ」と言うと、他の人たちがその宝物を探すのだ。
宝物といっても、そのあたり転がっている空き缶や、プラスティックのかけらや、鉄くずなど、なんでも良い。それを、落ち葉の下に隠したりして見つけるのだ。
そのような時に、小さな子が、何の変哲もない石ころを拾って、「これを宝物にして隠す」などと言い出したりする。
ここでの「宝物」の趣旨は、自然の事物の中に置いて、それが他と明らかに区別される、という点にあるのに、わかってないなあ、とみんな笑うが、その瞬間にふっと立ち上がる不思議なめまいの感覚がある。
。。。めまいが。。。。。。
続けて。。。
同一性、差異、情報、図と地。「大人」の哲学者がむずかしい概念を使って議論する概念のトワイライトゾーンが、子供の遊びの中にごく自然な形で隠れているのだ。
子供の領分の中に、全てがある。最高の知識を身につけ、洗練と博覧強記を追求し、それでいて、公園でBB弾を見つけて喜ぶような、子供の心を忘れずにいなさい。夢中になって遊び、気が付くと夕暮れだった、あのような集中と強度を、そしてその後の弛緩のまどろみを持ちなさい。
そうすれば、世界はきっとその秘密をあなたに明かしてくれることでしょう。
こんなスワミ口調で文を終えている所は他にはあまりないのですが。。。素直に「はい」と言いたくなる。この文を読んだ週末はこれを肴にして過ごして行ける。
もう何にもいらない。。もう今日はご飯もいらな〜いとまではならなかったけれど 笑。でも、人間の原動力は物質だけではないことをしみじみ感じます。
自分が「不思議なめまい」を引き起こすその「小さい子」であった場合でも、それをとりまく「友達」であったとしても、その「めまい」を共有した瞬間を感じる事ができることが「宝」を手にしたことになる。
その「宝」は当然目には見えないもの。
「宝」を受け取れるかどうかは、宝がある、無し、ではなく、受け取る側の受け皿にかかっているのですね。魔法と似ている。
そして「不思議なめまい」を共有できる人たちを「仲間」と呼ぶのだと思っています。
皿を磨こう☆磨いて損はなし。。。
脳についてもっと知りたくなりました。