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いろんな形での自然との関わり

アート

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我が家は弾く人がいないのに

10年くらい前に買ったピアノが玄関脇においてあります。

 

子供が小さい頃におもちゃとして中古屋で5千円で買ったもの。

手を挟むと危ないから、と、鍵盤のふた(と言うのか?)も取ってある。

鍵盤が沈んでるところもある。  

 

私が住んでいる七尾では

夏に恒例のモントレージャズフェスティバルがあるのですが

プロが出演する中、次世代のジャズオーケストラとして

全米で選出された高校生メンバーのうち、

2人が我が家にホームステイに来てくれることになりました。

ピアニストとサックス奏者。

 

初めて我が家に入ってすぐ、するするーっとピアノに向かって行って、

音をみてるのか、中腰でべろべろ〜んと弾きだし、

放っておいたら、そのまま膝立で弾き続けている。

 

私はそのピアノをおもちゃとしてしか認識してなかったから

椅子は置いてないし、鍵盤にシールは貼ってあるし。

 

椅子を用意したら、そのままずうっと弾いてる。

ついにサックスも加わってそのまま演奏会。

(彼らにとっては練習だろうけれど)

 

夜8時から約2時間、水とトイレ以外は演奏していました。

移動の2日間、弾けなかったのだろうから。

「水を得た魚」ということわざがぴったりです。

水があるから入る。泥水だろうと入る。

思考を挟まないのって気持ちいい。

 

あるから弾く。というシンプルさ。

この動物的なまでの行動を洗練させることが芸術なのだとおもう。

生命力をもったままで形にしていく。

そうありたくて人は何かしら練習するのだとおもう。

 

ナチュラルというのは

虎が獲物を食べていることに言葉が必要ないようなこと。

感情というすばらしい道具をもっている私たちは

時にその感情によって支配されてしまう。

あ〜、しまうまがかわそう〜とか。

 

自分が可愛いとか綺麗とか思う基準ってそんなに必要でないかも。

すくなくとも、地球にいいような気はしない。

 

椅子の高さに文句も言わない。

普段から努力している彼らはどんな道具であろうとそこでやれることをやる。

だって、サックス吹きの彼の座ってる椅子なんて

車の後部座席を外したものだし。どんな家だ。。。

 

魚は水に入れれば泳ぐ。ただおよぐ。

彼らは弾く。吹く。それだけ。

 

残り3日くらいだったけれど調律を頼んだ。

調律師さんもピアノ見て笑ってた。「どこまで直しますか?」って。

「とにかく3日間、よりベストな状態で弾けるようにして」と。

 

あの「ナチュラル」に自分が出来る事があるのなら

なんでもしたい。と思えました。

感動でもあるのだけれど、ただ、よりナチュラルであってほしいという願い。

そして演奏を聴く人たちに、より何か伝わるものがあるのであれば

私たち家族ができることをやってあげたい。

 

ステージではスーツにグランドピアノ。(今回は野外だからTシャツだけれど)

普段もそういう環境で練習している彼が

調律されたピアノを見てとても喜んだ事に私は言葉もない。

 

生きた天然記念物と接触した、というのが近いかも 笑。

初めて自然保護に携わった日でした。