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たましいの遊び場でありたい(希望)

Yoga

ヨガクラスをしていて、あるポーズをするとほぼ必ず
「手が短いから出来んわ〜」

という声が聞こえてきます。

 

サンスクリット語のポーズ名では

アルダ・バッダ・パドマ・パシュチマターナーサナ

(上から5番目のポーズ【金沢でクラスをしているとしかず先生の画像を拝借】)

という

片方だけ蓮華座にして片手を背中からまわして足指を掴み前屈するポーズ。

 

出来んわ〜、を聞くたびに、思うこと。

ポーズが出来る出来ないはいいとして
(出来るという基準は色々ですので。)

「手が短いから」

という、

手の長さの問題なのよ。(身体的に不可能である。)

と、あえて言う(思う)のは何故なのだろうと。

 

これは思考の癖なのだと思うのですが、これと似たものでは

歳だから。

若くないから。

どこどこ(内臓、体の部位)が悪いから。

 

言い訳なのでしょうし、実際、そうなのですねとしか言えないのかもですが

ヨガとしてアーサナをしているからには思考をここで止めるのが勿体ない。

 

アーサナをしていて、手が短いから出来んわ〜、と考えてしまう。

普段の思考癖が、心を鎮めながらヨガをしているときにこそあらわになる。

 

逃げ場のないところに言い訳をするのは

一見、清くあきらめているようにみえながら、じつはとってもこだわって

いるからなのかもしれない。

 

言うなら、

「肩関節の可動域、肘と手首の回転、腰のねじれが足りない。
股関節の開きと膝関節がこわばってて足首も内側に曲がらないから出来ない」

と言われるのなら、まあ、わからないでもない 笑。

 

要は、連帯責任です。今回は体の例ですが。 

手が短いからって。。。手だけのせいじゃあないわ〜!おおざっぱすぎる 笑。

そして、客観的に見る限り決して短くないです!

ということは、主観で可能性を見逃している、

もしくは無意識に逃げているのかもしれない。

 

なんでこんなことを言うのかって。

 

アーサナをするヨガクラスだから、体をよりどころとして見ていくけれど

そこから派生するエネルギーを注意深く見ていかないとヨガである意味がない。

と、考えるからです。

 

自身が体と心と思考の癖を知り、癖を踏まえつつ

先人が開発してくれたヨガのメソッドに則った動きを淡々としてみることで

本来その人が持っている能力の開発ができると思っています。

 

いくつになってもそれはできるということを

実際に見させていただいているから疑いようがないです。

 

体力ない、若くない、病気がち、お勉強が得意でない。。。。などなど。

ハタヨガは「あきらめの境地」からの絶好の道。

わたしごときひよっこが言うのもなんですが、魂の修行だと感じています。

 

ですから、出来ようが出来まいが、見た目は魂の学びには影響しないのですね。

ある意味厳しいですねえ 笑。

 

ヨガはそれぞれがそれぞれのペースでどっぷり遊べる面白い世界だなと
あらためて感じます。

 


ヒーリングセッションとYogaクラス - ヨガエネ日記