自分が興味がある事を
選ぶとき、
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、
五感のうち、どれを一番重視した選択をしているかな、
などと考えてみると、
触覚で、
私は皮膚感覚に重きをおいて生きているんだなとか
そんなことを思っているところに
こんな記事を見つけ
夢中で著書を読んだ。
仲谷正史著
「触楽入門」と
「触感をつくる」
それと
「第三の脳--皮膚から考える命、こころ、世界」 傳田光洋著
面白い!!!!!
毎度の事ですが説明できないので読んでいただくしかないのだけれど、
触覚、
というか、触感。
改めて考えてみても、これが無い状態ってイメージしにくい。
他の感覚は一時的に遮断できるのに。(目を閉じる、耳を塞ぐ)
仲谷氏の著書にあった、
“百聞は一見にしかずと言いますが、
一触は時に百見を上回る力を持っています。”
には、
誰もが頷くのではないのかな。
うん、知ってた!と言いたくなるくらいに。
嗅覚の話になるけれども、
私はアロマオイルの嗅ぎ分けができない。
何の植物のオイルかの選別が、という意味ですが。
(知ってる範囲の植物ならば少しはやれるのだろうけれど、そもそもオイルに関しては種類別という概念が抜けている。)
で、香りを嗅覚ではなく触覚で選別して(探して)いるようなのです。
皮膚に垂らすという事ではなく、芳香空気を触るような。
これは、アロマオイルに親しむきっかけが、
エネルギーの観点からのアプローチだったからというのが大きい。
皮膚感覚を頼りに、
触覚以外がまだ発達していない赤ん坊のように、
香りを探っているのだと思う。
この例で言うと、
触りごこち、というのが触覚の触感だとして
匂いごこちも触感。
触感は、
視覚もその他も全てが関わってくる複雑さゆえ
科学の研究対象になりにくかったそうで、
最近になってやっと触覚について研究が進み、
皮膚についても新たな発見がでているそうです。
で、第三の脳🧠にあった記述で、
皮膚の虜になった。
脳と脊髄、
目、鼻、耳、口、表皮は
生まれが同じ。外胚葉からできているそう。
ちなみに真皮は中胚葉。
脳と表皮は似ている。
表皮はそれ独自で考えて情報処理しているらしい。
チネイザンの先生である大内さんも言ってた。
「手のインテリジェンスを信じて」と。
今の私は「表皮のインテリジェンスを信じて」に
多少すり替えている感もあるけれど、
触れることでの情報感知を考えるとこれは本当にその通りだと言える。
触れる手の皮膚も
触れられるお腹の皮膚も
知性がある。
しかもそのインテリジェンスが、
いつかは垢となって剥がれ落ちていく表皮にあるだなんて、
ステキすぎる。
日々知性が更新されている。
これは文学にもなるのではないだろうか。。。