洗練と不安の関係

ヨガクラスと個人セッション - ヨガエネ日記

 

この2年ほどで腹落ちした事のひとつ。

それは、

人と向き合う必要はない

ということ。

 

昔はなんとなく無意識に

分かり合う事とか、大事だと思っていたのです。

大間違いだった。

他人(家族も含む)は向き合うべき対象ではないのよね。

 

 

向き合うべき対象は自分以外にはない。

 

 

他者に対して起こる感情は自分のものなのに、

そこにジャッジがはいると

他者と向き合ってしまうのですね。

 

 

他者と向き合ってしまうと、

本当は自分が自分に言うべき言葉や

自分が行うべき行動、

自分が解決するべく問題を、他者に向けてしまう。

(自分が他者から攻撃を受けたかのように自分の心身を痛めるのも同じ)

 

 

よく、

人としっかり向き合いなさい、とか、

大切な人と真剣に向き合いなさい、とかあるけれど、

違うと思う。

他の人がどう思うかは色々だろうけれども

少なくとも私にとってはこれが真理。

 

 

他者とは並んでいたい。

人生をマラソンとして例えるなら、

走っていて隣に並んだりとか。

歩いていて行き先が同じだったりとかいう感じ。

 

 

その時その時のシチュエーションで

横に並ぶ他者は変化していく。

一瞬だけしか並ばなかった他者もあれば、

長いこと並んだままお散歩する他者もいる。

何度も時々だけ出会う他者も。

時には寄り添うこともあれば

寄り添ってもらうこともある。同じ方向を向いて。

 

 

並んでいられる時間は、

宝のように貴重な時間なのだと思う。

当たり前だけれど全ての人はそれぞれの価値観で人生を送るのだから、

一瞬でも並べる他者は運命の人と呼んでもおおげさではないのかも。

 

 

私は離婚をして、

否応無く自分を見直す中で、

人との関係性、“向き合う”ということを

誤解していた事に気がついてから、

自分があまりに幼稚だった事への大きな後悔と共に

ちょっとづつ今までの“向き合いグセ”を修正してきました。

 

 

そうしたら世界の見え方が変わって、

不安になる時が減ったことに気がつき、

そしてなぜ不安になるのかも分かってきたのです。

自分のことに目を向けていない時にそうなります。

 

 

どんなに問題がありそうでも、

ここを押さえておくと、

解決方法が分かっているから穏やかにいられます。

 

 

自分に向き合うということの本質は、

自分の発しているサインを

正確にキャッチして、

自分ができる限りのことをして応えてあげるということ。

自分が自分に最上のおもてなしをするというシンプルなことでした。

  

 

これを毎秒行い続けていられる人のことを

洗練された人と呼ぶのだと思っています。

 

 

 

 

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