火で燃やすことが出来たら。

ヨガクラス 2019 - ヨガエネ日記

 

 

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洋服の整理をしていて、もう着れないし

置いておくスペースもとれないしなと思うものを片付けているのですが、

 

◎家庭ゴミとして捨てる

◎リサイクルショップに出す♻️

◎リサイクルガレージ的な所(スーパーに設置してある)に出す

 

 

の、どれにも当てはめにくい服がありまして。

例えば子供のフラの発表会の為に作られた衣装。

出来たら時々眺めていたいくらい思い入れがあるのですが、

それ以上に、

「燃やしたい」

という思いが強くあります。

 

 

ここがハワイだったらすぐにまた誰かに選んでもらえそうだから

再利用の道を選びたい。でも、ここではそう思えない。

ナイロン袋に入れて、他の家庭の生ゴミ達と一緒になるのは

洋服の最後として似合わないし、

リサイクルは前述のとおり。

 

 

まだ私が小学生だった頃、

祖母の小さな畑では、抜いた雑草を乾燥させてから火をつけ燃やしていました。

畑や田んぼから小さな煙が上がっているのは

そこここでよくある風景で。

 

ある時から、安全上の理由などで、

個人で火を起こすことが禁止になりました。

 

 

焚き火とまではいかない小規模でも、メラメラする火を見るのは

なんとも言えない面白さがあって。

秋になったら、近所の公園で枯葉を山のように集めて、

その場で焼き芋をしたような記憶が。

公園で??

と、今では信じられないので、

記憶が確かかよく分からなくなっているのだけれど 笑

よく葉っぱを掻き集めていたのは確か。

 

 

田舎でも人口が増えていった時代。

家々が密集してくることで、

焚き火による煙の被害や火事などが問題になるのは分かる。

 

でもでも。

ガスではない、あの「燃える火」に触れる機会がなくなったのは

寂しい。そして、経験をする事が出来ないという意味で

もったいないなと思う。

 

 

あの「火」との時間は、

波をずっと見ることや、空を見ること、

山を見ること木を見ることと同質で飽きなくて、

はかなければはかないほど興奮するのは

花を見ることに近い。

火は、その上「危険」というオプション付き。

それが神聖なものに感じるのは私だけではないと思うのだけれど。

 

 

台風や嵐、土砂崩れなどと違って、

最上の精神切り詰め状態を

自分の意思で始める事ができる。(火をつける行為ね)

 

 

あの時の、畑での燃える火と「同質なもの」で、

大事な衣装を無くしたいと思うのです。

 

 

もうずいぶん前になるけれど、義理の父(正式には元義理の父か)が、

山で燃やしてくる、と言って燃やすものを持って行ったのを

思い出すのですが、

えー、よくないでしょ、とあの時は思ったけれど、

今なら見張りをしたいくらいだわ 笑。

 

 

火を使って燃やす事は昔は当たり前にしていた事だし

むしろ人間生活での自然な行為だよな、って思う。

今の40代くらいまでが、キャンプとかではなく

火が燃える様を日常で経験できた最後の世代だったのかも。

 

 

今の子供でも、

我が道を通す(燃やしに行くような)

不良のおじいちゃんおばあちゃんがいればラッキーだね。

とか、不謹慎にも思ってしまいます。

 

 

 

 

 

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