飽き性の自分がなぜ東洋のプラクティスを続けているのかと。
ひとつは瞑想が生きていく上で、大切だからだと、実感したからだけれども。
なにか別のことででも、そこにつながる道はあるし、実際、瞑想を意識して生きていなかった時期も、その状態を他のなにかで無意識に求めていたのだろうと、今なら思う。
ダンスでも絵を描くことでも、テニスでも、
なんでも瞑想の手段になりえる。
私は瞑想を練習しているからって、瞑想とはこうなのですよ、とは言えないのですが、瞑想を実践することを伝えたくて、実感してほしくて、ヨガとか気功を伝えることをしています。
日本で育った日本人であるということだけでも、最初から気功や太極拳がわりとすんなりしっくりくると思います。
見かけというよりはソウル、ね。
究極は、なにげない生活のなかで、何をしていてもそういう状態になれるようになりたいな、と思います。