「光とは情報であり、愛とは創造である」
とある本にあった言葉をなるほど、と思っているこの頃。
言葉は解釈の違いが人それぞれものすごくあって、
なのでもどかしくもあるけれど。
定義づけるのは何か固定してしまう行為のようだけれど
これをあえてするのが私は好き。
固まらないものを色んな容器に”あえて”入れてみて、
そしてそれがその時誰かの奥底に思いもかけず触れたとき、
または自分が触れられたとき、
やっと「皆おんなじ」であるというあたりまえのことを気づかされるから。
分離している自分が統合するために言葉が役にたつことがある。
でもそもそも皆おんなじということを忘れないでいられるのなら
言葉はいらないのかもね。
言葉が発達したからこそ分離上手になったのかもしれない。
それならそれで、まわりくどいけれどその根本原因である言語というものも
使いならして統合を試みたいと思っている。
罠だって知ってるよ~と、確信犯として定義づけに甘んじてみる。
一瞬先にはその定義はなくなってることもあり。
自由の身だから養育はできないし、責任もない。
まるでムダのようないたちごっこのようなお遊びは
最高の贅沢だと思う。
おとなって楽しいな~と思えることのひとつ。