エネルギー日記    

エネルギーを学んでいます

ダークルームとラーマクリシュナ

28時間、暗闇の中で瞑想やお遊びをするダークルームに入りました。

 

ほんとの真っ暗というのは自分の手を顔に近づけても見えないのですね。

お手洗いくらいは小さい灯りがあると思っていたけれど、ない。

 

ずっと暗闇にいれば人の気配とかに敏感になれるのかな。と

期待していたのに、私は後半になればなるほど人や壁にぶつかる。

それぞれに「自分の場所」があるのですが、一度動くと

そこにも戻れないのです。

 

心細い気持ちになったのですが、

「そうだ、 一人な訳ではないのだから助けてもらえばいいではないか。」

 と思い直して、お願いして、お部屋(自分のスペースね)まで

お手てつないで連れてってもらったり、

「ボブ〜」と、声で誘導してもらったり、

こっちこっち、と、行きたい場所までこれまたお手てつないで

連れられたり。

 

わ〜ん(うれし泣き)

うっとりしてました 笑。

 

何も出来ないってダメなことじゃあないのね。

優しさが身に染みます。

なんか得したなあ。。。

 

暗闇では見えないからこそお互いを気にかけます。

集まってても、本当に居るか分からないから

しょっちゅう点呼したりして。

 

「監視されてないけれども、気にかけられている。」

という感じ。

この開放感と安心感は、人が伸びやかに生きて行く為の

原点ではないかと思いました。

子供が育つ過程で、なくてはならない感覚。

 

10種類くらいの瞑想法をやったらしいのですが、

夢と現実と幻想の境が曖昧になっていて、

長い時間瞑想したなあってことしか実感がなく

詳細が思い出せません。

 

今回の体験で、どれが夢か現実か幻か、境界線は決められる

ものではないのでは。。。と思いました。

ヴェーダーンタの考え方では、現実(と思っているもの)もマーヤ(幻影)。

夢もマーヤ。と言います。あれもこれもマーヤ。

 

ラーマクリシュナのお話では、、、(色々略して、だいたいこんな感じ。)↓

 

ある地方に一人の男がいる。

ほんとうの知識をもった男だ。

田畑を耕して暮らしを立てている。

ある日、目に入れても痛くないほど可愛がっていた一人息子が死んだ。

家族の者はみな悲しがって、何も手につかなかった。

ところが農夫だけはケロリとした顔をしている。

そして皆をなぐさめ、すぐに畑仕事に出て行った。

奥さんが「お前さんは薄情だね、涙一つこぼさないなんて」と言ったら、

「夢の中では自分が王様で、8人の息子と幸福に暮らしていた。

それが朝になって夢から覚めてしまって、8人の息子たちが消えてしまった。

そこで今どうしたらよかろうと考えているところなんだよ。

どっちの息子の為に泣けばいいのだ?」

 

と言ったそう。

なんかちょっと分かるなあ。ダークルームの後だと。

 

サングラスをかけて、28時間ぶりに外に出たときは気持ちよかった。

なんのことのない夕方がきれいでした。

いつも、こんなきれいな世界にいるのですね。

 

暗闇をお腹いっぱい体験したからこそ、光のありがたさを

身をもって感じられました。

現代人は闇が足りなくて、光を恩恵と感じにくいのかもしれないですね。

 

いつも曇り空に打ち上げられる花火を見ているよう。

花火は十分に暗くならないと十全に輝かない。

ああ、もったいないことしてるわ、私。

 

今は闇が枯渇しているのではないかな。

世界がそんなモードに思えます。

物質的なことだけではなくて、内面も。

多くの人が、闇を自ら試みに行くような時代なのかもしれない。

 

闇に積極的に入っていくことは、泥沼にはいるかのごとく

怖じ気つくことなのかもしれませんが

蓮の咲いている池はきっと入ったら気持ちいいのではないかな。

ダークルームから出た今も、あそこに戻りたくなる。

 

光のある所に居れるタフな人ほど、率先して自らの闇に入っているのでは。

光を生かしたいなら闇をふんだんに用意しなくちゃいけないって

ことを分かっているから。

 

ほら、おさるさんもきっと最初に温泉に入るのは怖かったと思うのよ。

いつだって進化のきっかけは好奇心旺盛な者たちの行動(働き)から。

「大丈夫だよ」ってことを、私たちに楽しくやさしく教えてくれて、

このダークルームもそんな所。

 

 暗闇でのおしゃべりは、体の深い所で話しているよう。

数々のキーワードも出て、これからどう繋がっていくのか楽しみなのです。

 

最後にラーマクリシュナの言葉から。

 

「不滅の言葉(コタムリト)」より

 この農夫は正しい知識をもった人だから、夢の状態が一種の錯覚だと同じように、目覚めている状態も一種の錯覚だと見極めていたんだよ。たった一つの永遠の実体、それがアートマン(真我)だということをね。

 私は何でも認めるよ。超越意識も認めるし、目ざめている時、熟睡している時の三つの意識もみんな認める。ブラフマンも創造現象(マーヤ)も、人間や動物も、この世も、みんな認める。みんないっしょにしなけりゃ、目方が減ってしまうからね!

 

何でも認めるよ、って。やさしいわあ、ラーマクリシュナ。泣ける。。。

 

ダークルームで色々感じたからこそ染みてきたお言葉。

 

「なぜ目方が減るのか?」はこちらに続きがあります。↓

不滅の言葉(コタムリト)―大聖ラーマクリシュナ (中公文庫)

不滅の言葉(コタムリト)―大聖ラーマクリシュナ (中公文庫)