私はなるべく、「イメージする」という事をしないようにしています。
イメージは、どうしたって出てくるのですが、
自分自身がまだ真理(本質)を見抜けない内にイメージをこしらえたところで
大したものをイメージできている訳がない。
と思っているからです。
物事を小さい範囲で捉えて想像で終わるのではなく、たとえつたなくても現実に落とし込んで着実に身にしたいから。
なので、イメージを見るのではなく、
どんなに見えなくても(視えなくても?)
見るようにしています。
みえる、のではなく、みます。(根性☆)
息をする、しない、に
選択肢さえなく息をしているような感じで、
「みる」には、
「みない」という選択肢が無いことになっています。
これは、私の考えというかやり方なので、
他の方はどうなのか知らないし、
すごく間違った事だったとしても
ありゃりゃ、、、となるしかないのだけれど。
みる、というのは視覚やイメージよりも感覚に近くて、
みたものに近づくためにエネルギーを凝縮させるのがもの作り。
誰かのための洋服を作るとなったら、
よく「みて」
実際に作ることで、みたものに近づけていく。
エネルギーに沿わせていくことは
生ものを取り扱うようなもので、
実際に、同じ人でも似合うものが変化するというのは
分かりやすくそういうことだと思う。
どんなにみても、
みた通りに出来上がったり、似合ったり、似合わなかったりするし、
みた以上の時もある✨
だから、
効率が悪く手間がかかっても
自分がみたものを確かめたくて
作る時間をとるのだと思う。
もう、ほとんどただのワガママなんだけれど、
何かを形にするって事でチャラにしている(つもり 笑)