昨日はお能を見に行った。
あの安定した歩き方を見ていたら
こんなことを思った。
私が時々、
「不安」
を感じるのは、
未来(過去)を
一本道だと思い込んでいるからではないかと気づいた。
時間を一直線上だと思っている。
だから、その上を歩く自分は不安になるのではないか。と考えた。
過去も未来も一直線上。
それは綱渡りを想像する。
その綱渡りの一本道を一本の紐だとしたら、
そこから落ちないように歩く時には
どんなに技術があったって
完全にリラックスすることは無理。
要するに、不安。
リラックスして歩くためには
足を置ける面積を増やすしかない。
違う考え方(他の紐)が必要。
どうせ選ぶのは一本道(一本の紐)でも、
他の紐がたくさんあってもよい。
それは、選択肢というもの。
落ちてもすぐ隣に紐がある。
この道もあったね、って。
紐が増え、紐の集合体が面になれば
落ちることを心配することなく
安心して自分が選ぶ一本道を歩ける。
紐が集合したら、自分を囲む面が360°。
360°の選択肢に身を置くと想像すると、
過去にも行ける(よね?)
まるで想像しにくい、
他の人の道とも思われるところにも行ける。(これは相手の事を理解できるという能力)
面では、立つだけではなく
座って、寝られる。
そうして
そこに立ち止まるということは、
360°どこにでも行っていいと知ること。
道を夢中になって進むことよりも
多くを理解できる可能性がある。
お能の
あの歩きを体現できるまでに
どれくらいの時間がかかっているのだろうと。
そう思って歩きを見ているだけでも
役者さんの積み上げた時間を分けてもらえた気がした。
歩きを見ているだけで安定した。
本格的なお能を見たのは実は初めて。
はまりそう。