読書
「太陽の王ラムセス5」アカシアの樹の下で
最終巻の5を読み終えた。
1、2巻は成長の物語。
3巻以降は、ファラオ、ラムセスの放つ言葉が
どれも神託。
正確、的確、洗練。言語が立体。
ラムセスの発信は、どこまでも上から言葉。
ラムセスを通した上からの言葉。
p99は、ラムセスの友人でもある外務鄕のアーシャが長年勤め、そして大きな勤めを果たした後の文章。
ちょっと長いですが、本文を記しました。
p99
一時期、アーシャはすべての人間が同じ習慣を持ち、その違いをなくしてしまえばいいのだと考えたことがある。
だがいまでは違う考えかたをするようになっていた。
人々が多様性を失えば怪物が生まれ、強大な権力者が広大な土地を支配し、人々の息を詰まらせることになるのだ。
悪行と怠惰な生活にすべり落ちていく人間を引きとめることができるのは、ラムセスだけなのだ。
ラムセスは人間を神々へと近づける。
だがラムセスのような人物がこれから現れることがなければ、人類の世界は血で血を洗う混沌のなかに沈んでしまうだろう。
死活のかかった重要な件はラムセスにまかせておけばなにも問題はないのだ。
ラムセスは見えざる存在に導かれている。
神殿のナオスで神と正対すると同時に、ラムセスは民と向きあう。
自分のことよりも民のことを考える立場にあるのだ。
この数千年、ファラオたちは数多くの障碍を乗り越えてきた。そのようなことがなしとげられたのは、ファラオがこの世の存在ではなかったからなのだ。
いずれ外務鄕の職を辞したら、アーシャは
ファラオの人間と神という二面性について書かれた文献を集め、ラムセスに捧げるつもりだった。
二人でそのことについて語り合い、葡萄棚の下で、あるいは蓮の咲きみだれる池の端で一晩を明かすのもいいだろう。
自分は運に恵まれていたのだ。
ラムセス大王の友となり、陰謀を打ち砕く手助けをし、ともにヒッタイトの脅威を取りはらった‥‥。
これ以上のことを望めるだろうか。
アーシャは幾度となく明日への不安に打ちひしがれたことがある。だが、そのたびにラムセスが明るく輝く希望の光を投げ与えてくれたのである。
目の前に枯れ木がそびえたっていた。
高木であり、幹も太かった。
根が土の上にまで現れていたが、このままそびえたった姿を永遠に残しそうなようすだった。
アーシャは微笑んだ。
この枯れ木は生命の泉なのではないか?
鳥たちが雨露をしのぎ、虫たちが餌を求めに来る。
この枯れ木は生命を持つものすべてを結ぶ
目に見えない絆を象徴しているのだ。
ファラオもまた、天へ達する巨大な木となり、
民に食物と庇護を与えているのではないか?
ラムセスが死ぬことはありえない。
ファラオとは生死を越えて存在しつづけなければならないのだ。
そして神々の世界を知ることでファラオは誤まることなく日々の生活を導くことができるのだ。
アーシャにはあまり神殿にかよう習慣がなかった。
だが彼はラムセスに接し、ラムセスの影響を受けることでいくつもの秘儀を我が物とすることができた。
もしかしたら自分は引退もしないうちに、早くも隠遁生活に倦んでいるのかもしれない。
外界から離れ、俗世から隔たった生活を送り、新たな冒険に身を乗り出す。
そう考えただけでアーシャは興奮していた。
心の冒険を始めるのだ。
p310
道のはずれで一人の老女がパンを焼いていた。
香ばしい香りがラムセスの鼻を衝いた。
「ひとつ所望できぬかな?」
感想📝
この後の数行を含めた文章が、
なんとも言えない。。
5まで読んできた人だけが味わうところ。
あえて書かず。