エネルギー日記    

エネルギーを学んでいます

11/4 2023 「光の石」3 クリスチャン・ジャック

光の石3  パネブ転生

p190、

p192.193 からの抜粋。

 

読み返しやすいように改行を加えています。

ひとまず感想から。

 

 

光の石は王墓をつくる職人たちの物語。

この物語を読むと、

規模の大小にかかわらすず物づくりとは

本来こういうものなんだろうと考えさせられる。

このことを忘れようとしたり、

見ないようにしていても

作った物、は答えを出している。

 

私も物をつくることがある。

勢いと思いつきだけで、

自分の手に余る素材を手にいれ、しかし

生かすことが出来なかったことが悔やまれる。

いつでも素材(原料)を手に入れられる現代に、

「便利」を乱用したとさえいえる。

 

 

p190より

 

「この地で働くことができる我々は、なんとしあわせな人間なのだろう」

ネフェルがつぶやくように言った。

 

「岩のかすかな息づかいを耳にし、

その言葉を理解することができるんだ。

 

我々は自分たちが

岩を変化させているのだと思っている。

だが、

我々の手を動かしているのは

岩のほうなんだ。

この王家の谷では、

神々が岩の言葉を口にする。

 

我々はその言葉を

絵や像の中に移すという務めを負っている。

 

この言葉だけを武器にして、

戦争と人間の狂気を相手に

戦わなければならない」

 

 

 

p192.193より

 

「王家の谷を少し歩いてみたいのですが」

タウセルトはそう口にした。

 

〜略〜

 

地上の権力をめぐる争いが、

あまりにも場違いであり、

滑稽にすら思えてくる。

 

もはや野心と虚栄心の住む場所はなく、

死という最大の試練と

永遠の生命への変身のことだけしか

考えられなくなってしまう。

 

〜略〜

 

「時間の感覚が麻痺してしまったようです」

「王家の谷は人間のためにつくられた場所ではありません、妃殿下。

人間とは自分のなかに死をかかえすぎているのです。

この王家の谷に足を踏み入れるたびに、

職人たちが谷に受け入れられないのではないかと、不安になってしまうほどです。」

 

 

メモ📝

死をかかえすぎている。とはどういうことか。

死を、自分のことだと思っている、

「私」に起こることだと思い込んでいる。

だけれども、本当はそうではないのだろう。

本当に死を理解すると、

時間を超える感覚を身につけることができるのかもしれない。

というのが今のところの考え。